那須の魅力

那須から尾瀬へ

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尾瀬

那須から少し足を延ばして
本州最大の高層湿原
尾瀬に行ってみてはいかがでしょう

尾瀬国立公園

尾瀬国立公園は名峰に囲まれた日本最大級の山岳湿地

尾瀬国立公園の歴史は古く、1934年に日光国立公園の
一部として指定されましたが、
2007年に尾瀬エリアは日光国立公園から分離され、
会津駒ヶ岳、燧ケ岳、尾瀬ヶ原など
周辺エリアに編入されました。
尾瀬は、本州最大の高層湿原である尾瀬ヶ原、
只見川の源流を堰き止めた噴火によってできた
尾瀬沼、尾瀬ヶ原を囲む燧ケ岳など、
美しい景観で広く知られている。
尾瀬は過去に何度も開発の危機にさらされましたが、
多くの人々の努力により、現在も貴重な自然が守られ、
日本の「自然保護の原点」とも呼ばれています。

指定:平成19年8月30日
面積:37,222ha
福島県、栃木県、群馬県、新潟県

尾瀬地域

尾瀬地域は、尾瀬火山群の噴火によって形成された
山地がベースになっています。
尾瀬沼や尾瀬ヶ原は、火山噴出物による窪地が
堰き止められてできた火山性高地湿地です。
その中心である尾瀬ヶ原は、
本州最大の山地湿地(約760ha)です。
尾瀬沼と尾瀬ヶ原の北側には、東北地方最高峰の
燧ケ岳(2,356m)をはじめ、景鶴山、燧ケ岳、燧ケ岳など、
この地域の成熟度を示す険しい山稜が連なる。

自然保護の原点

尾瀬はその後も、1960年代以降の利用者の増加による
植生の破壊やゴミの放置、1960年代の道路整備事業など、
新たな問題に直面することになった。
しかし、熱心な自然保護活動や植生の回復、
ゴミの持ち帰り運動、自家用車の規制などにより、
尾瀬の自然は守られてきた。このような取り組みは、
尾瀬から始まって全国に広がり、尾瀬は日本の
「自然保護の原点」とも呼ばれている。
尾瀬は、関東と東北の分岐点でもある。
鎌倉時代から、群馬県片品村から福島県檜枝岐村まで
尾瀬を通る街道があり、両地域で物資や文化の
交流が行われてきた。
沼田市と会津若松市を結ぶこの街道は、群馬県側を
会津街道、福島県側を沼田街道と呼んでいました。
幕末の戊辰戦争では、会津軍が大江湿原に駐屯し、
戸倉で征討軍と戦いました。
七入から沼山峠、大江湿原、尾瀬沼、三瓶下を経て
一ノ瀬に至る道の一部は当時の面影を残し、
道行沢の渓谷沿いの道は新緑や紅葉の季節に
おすすめです。
特に、檜枝岐村に伝わる農村歌舞伎「檜枝岐歌舞伎」は
260年以上の歴史を持ち、
その舞台は国の重要有形民俗文化財に指定されています。

自然保護の歴史

尾瀬ヶ原では、明治時代から只見川源流の豊富な水資源を
利用した電源開発(水力発電)計画があり、
第二次世界大戦後に具体的な開発計画が発表された。
これに対し、1949年に学者や文化人、山小屋関係者などで
結成された尾瀬保護同盟(現在の日本自然保護協会の前身)が
開発計画を中止させ、尾瀬の貴重な自然が守られました。

尾瀬地域の植物

尾瀬は、
北方系主に氷河期から生き残った種と
南方系氷河期以降に南からやってきた種、
太平洋系降雪の影響を受けない植生と
日本海系降雪の影響を受ける植生の
2種類の植生の分岐点に位置しています。
植物相は多様で、116科938種と、日本で見られる
高等植物の10%以上を占めています。
また、尾瀬で初めて発見された植物である
「在来植物」が19科42種、尾瀬特有の植物である
「固有植物」が10科19種あり、
尾瀬はまさに植物の宝庫といえます。

尾瀬地域の動物


北方・南方型と太平洋・日本海型の分岐点に位置する
この公園には、多様な動物相が生息しています。
特に、豊かな森林環境を好むツキノワグマやカモシカなどの
大型哺乳類を多く見ることができます。
また、森林だけでなく水辺の環境にも恵まれているため、
鳥類や昆虫類も多く、特にトンボは北日本から合計17種の
生息が確認されています。
尾瀬は、湿地生態系としての価値が認められ、
2005年11月にラムサール条約の湿地として登録されました。
近年では、生息していないとされていたニホンジカの
生息が確認されています。
しかし、このシカが貴重な植物に食害を与えており、
その対策が急務となっています。

尾瀬入山期間

尾瀬ハイキングシーズンは長い冬から開放される
5月中旬に始まり、花の咲き競う初夏~夏、
紅葉が終わりに近づき霜の降りる10月末頃までです。

尾瀬入山料

環境維持整備金(入山料)等一人 1,000
Page 2 2 円を徴収
一日の 入山者総数を 5,000 人とし、
鳩待峠入山者数を最大 3,000 人、
沼山峠口を同、2,000 人に制限 。
登山道や木道整備等に充当する(受益者負担)