笑えるエピソードシリーズ

電子機器を一切使わずに暮らしているおじいちゃんおばあちゃんが幸せに面白おかしくくらしているエピソード

田舎の小さな村に住むおじいちゃんとおばあちゃんは、電子機器を一切使わずに暮らしています。彼らの家は昔ながらの木造の古民家で、山々に囲まれた自然豊かな場所にあります。毎朝、日の出とともに目を覚まし、鶏の鳴き声で一日の始まりを感じます。

おじいちゃんは古い鋤(すき)を使って畑を耕し、野菜を育てます。スマホもパソコンもないため、天気予報は空を見て雲の動きを読んだり、風の香りを嗅いで判断します。「今日の風は南からだ。明日はきっと晴れるな」とおじいちゃんは笑いながら、土に手を入れて作業を続けます。

おばあちゃんはというと、家の中で漬物を漬けたり、昔から伝わる手織りの布を織っています。隣の家に住む友達がおしゃべりに来ると、針仕事をしながら話に花を咲かせます。彼女たちは最新のドラマの話もSNSの話題も知らないけれど、笑い声が絶えません。「この前、畑で見つけた大根がこんなに大きかったんだよ!」とおばあちゃんは手でその大きさを示し、友達と一緒にお腹を抱えて笑います。

夕方になると、二人は家の縁側に腰を下ろし、お茶を飲みながら夕日を眺めます。自然の中で過ごす静かな時間が二人にとっての贅沢です。おじいちゃんは、「昔はあんなに忙しかったが、今はこうやってのんびりできるのが一番幸せだな」と言い、おばあちゃんもそれにうなずきます。

時々、都会から孫たちが遊びに来ます。スマホやゲーム機を手にしている孫たちを見て、おじいちゃんは「そんなもん、いらんいらん!」と冗談めかして笑います。孫たちは最初こそ不満を言うけれど、すぐにおじいちゃんが教えてくれる木登りやおばあちゃんの手作りのおやつに夢中になってしまいます。ゲームよりも外で遊ぶ楽しさを知り、自然の中で時間を忘れて駆け回ります。

電子機器がなくても、二人の生活はとても充実しています。何もないからこそ、小さな幸せを見つけることができる。自然と共に過ごす中で、彼らはいつも笑顔を絶やさず、日々の楽しさを見つけながら生きているのです。

夕日が山の向こうに沈み、夜の帳が降りるころ、おじいちゃんとおばあちゃんは家の中に戻ります。電気をほとんど使わない二人の家は、夜になるとろうそくの柔らかな光に包まれます。蛍光灯の明かりとは違い、その暖かい光が部屋全体をやさしく照らし出します。おばあちゃんは夜になると必ず火鉢を出して、炭をおこしながらお茶を入れるのが日課です。

「今日は冷えるねえ」とおばあちゃんが言うと、おじいちゃんは笑いながら「だからこそ、この火鉢のありがたみがあるんだ」と答えます。二人は火鉢のそばで温まりながら、昔話をするのが大好きです。おじいちゃんが若い頃、どれだけ無茶な冒険をしたかや、おばあちゃんが昔からどんなに元気だったかを話しながら、笑い合います。

時には、二人で昔の遊びを楽しむこともあります。おじいちゃんは竹で作った笛を取り出し、素朴なメロディーを吹きます。それに合わせて、おばあちゃんが手拍子を打ち、即興で歌を歌うことも。歌詞はいつもその時々の思いつきで、面白おかしいことばかりです。「おじいちゃんは今日も畑で泥だらけ、靴を履いてもすぐにぬれる!」とおばあちゃんが歌うと、おじいちゃんは「そんなこと言って、おばあちゃんも漬物ばっかり漬けてるんじゃないか」と返し、二人は笑い声を響かせます。

孫たちが泊まりに来た時も、夜は特別です。おじいちゃんが夜空を見上げて、「今日は星が綺麗だぞ」と言うと、孫たちは慌てて外に飛び出していきます。都会では見ることのできない、満天の星空が広がっています。星座の名前を知らないおじいちゃんは、星を指差しながら「この星はきっと、遠い昔に畑を耕したお百姓さんが見ていた星だな」とか、「あの星は山の神様だよ」と物語を作り出します。孫たちはその話に耳を傾けながら、星空を眺めることがとても楽しいのです。

おばあちゃんはその間に、自分の作った手作りのお菓子を持ってきます。たくさんの栗やサツマイモを使った素朴なお菓子は、電子機器で見たおしゃれなスイーツにはない優しい味わいです。孫たちは夢中になって食べ、「またこれが食べたい!」と喜びます。

夜も更け、孫たちが布団に入ると、おじいちゃんとおばあちゃんはその姿を見守りながら、また静かに語り合います。「電子機器がなくても、こうして家族が集まって楽しく過ごせるのはいいもんだな」とおじいちゃんが言うと、おばあちゃんも頷いて「私たちの時代はこんな風に何もなかったけれど、それが一番豊かだったのかもしれないね」とつぶやきます。

二人にとって、何かを所有することや、便利さを追い求めることが幸せではなく、自然の流れと共に暮らし、家族と笑い合うことこそが、本当の豊かさなのです。電子機器がないことで失うものもあるかもしれませんが、それ以上に、彼らは何にも代えがたい時間と幸せを手にしているのでした。